2000年のWSF
in 薬師寺シンポジウムの基調講演は、草柳大蔵先生を迎えて「生老病死、いのちの営み」というテーマでお話いただきました。よく生きることよく死ぬことという副題がついています。この難しいテーマで70を過ぎた草柳先生は非常に緻密にそして、よく練り上げた美しいという表現ができるほどの感動的なお話をいただきました。今にして思うと、あれは先生の遺言状であり、同時に美しく老い、そしてなおかつ老いの中で香る美しさを表現されたのだと思います。そして、「美しく死ぬということは誰にもできないかもしれないが、しかし、美しく年を経て自分を律し、枯れていく人生の延長上にはそれなりの花が、ある日ポトリと落ちるような静かな死があるんだよ」というふうに感じさせられる生き方でした。
先生が亡くなられて約2ヶ月ほどたちますが、その時のイベントのあとでまとめあげた記念誌を読み直すと、「よく整えし己こそ、まこと得難き寄る辺ぞ得ん」(法句集の中の160番)の解釈をしていただきました。よく整えしというのは誰でも生きてる間は仏さまによく整えてくださっているのだから、あえてがんばりすぎずにその状態を壊さないようにすればいいんだよ。だから少しづつ老いていったとしても、仏様によく整えてもらったものを少しからだを動かして、それをキープしていればいいんだ......。
この表現の中に70を過ぎた先生の枯れた生き方が表れていると思います。この肩の力を抜いた生き方で、生きてることにさりげなく感謝をしつつ静かにまた暗くなくいつ死んでも生きている限りはそれなりの整えられた体と整えられた心をもっていたいものだね。という先生らしいやさしい気持ちが表れており、逆にそうした生き方をすることがそれなりに自分を整えるための努力も人の見えないところで続けられたのだと思います。私たちもこうした本当に骨のある人間性の高い方の生き方を少しでも自分の生き方に取り入れたいものだと考えさせられます。合掌。
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