戦後史を中心に昭和の歴史を追ったノンフィクション作家の上坂冬子さんが今年の4月、がんによる肝不全のために旅立たれました。上坂さんは自らの闘病生活と選択した緩和ケアについて。そして日本のがん医療に対する疑問と提言を医師達との対話によって一冊の本にまとめて残しました。その小学館から出版された「死ぬという大仕事」の中で上坂さんと対話した東京慈恵会医科大学のお二人の医師がゲストです。主治医として治療にあたられた猿田雅之さんと緩和ケアを担当された井上大輔さんにお話を伺いました。
菅原:「死ぬという大仕事」というすばらしい本が出ました。がんと共生した半年間の記録。上坂冬子さんの最後の作品です。そしてこの本は自分の体験談ということで死を前にした人の心の混乱とか死に至るいろんな思いということが入っている部分もありますが、その感動もあるんですけど、上坂さんのすばらしいところは自分の個人的な緩和ケアの体験を個人のものにしなかったことだと思います。
菅原:上坂冬子さんが亡くなられたのは2009年4月14日、お年が78歳。慈恵会大学医学部付属病院に入ったきっかけというのは即決即断、電光石火ということで飛行場から電話が来て、いきなり来たというようなことが書かれていましたが、転移したかもしれないということははっきりわかっていなかったんですか。
猿田:ご本人様のお話によりますと、かかりつけの病院ので1年に1回の検査を受けた時に主治医の方から少し肝臓の方に怪しい影があるような気がする。だが、今の段階でははっきりと断言できないからなぁ。と。ご本人曰く、少し曖昧な回答をもらった。お仕事がどうしてもあったので、海外に行かれてたそうなんですが、ずっと海外にいらしてた間もその言葉が気になっていてお戻りになった瞬間に肝臓という言葉をキーワードに我々の病院の肝臓内科の方に受診されたというのがきっかけでございます。
菅原:自分自身がこうやって治療を受けながら、よくなるかもしれないし、ならないかもしれないというような状態があって.....。どんなきっかけで緩和ケアがスタートしたんですか。
猿田:可能性がある以上、治療法はまず治す方向に向かうべきだということで、抗ガン剤による治療をお勧めしました。手術でとるという方法も時としてあるんですが、実は肺にも肝臓にもございましたので、これをすべて手術で取り切るというのは不可能でごしたので、抗ガン剤療法をお勧めしたところ、ご本人様からやってみるという話をいただきました。その後、抗ガン剤療法をやっていただいたんですが、何クールか繰り返しても腫瘍を小さくする効果は得られない。ご本人様の衰弱が強くなっていき、ご本人様の覇気がだんだんと落ちていってしまって、活気に満ちあふれていたご入院当時の姿から少し違った形の表情になってきたところがございましたので、これは病気を治すことばかりに目を向けて攻め込んでいくことが必ずしも患者さんのメリットにはなってないのだろうというふうに考えたものですから、少し違った見方もあるんですよ。という形で緩和ケアという話をさせていただきました。
猿田:緩和ケアという視点をね、ガンを叩く専門で、抗ガン剤、放射線治療の専門である猿田先生がね違う方向のケアをちゃんと理解されてるというのはこの病院のすばらしさですかね。
猿田:我々の中ではどうしても太刀打ちできないガンがあることは認めざるを得ないことで、そのために研究機関ではより効率的に効くお薬そういったものが開発されているんですが、現実問題として治せないものが存在することは受け入れなければいけない。でしたら、その中で病気を理解して心地よい生活を送るという視点があってもいいのではないかというふうな考えを持っているんですが、最近そういうふうな意識を持ってるドクターも増えているというのは実感しているところでございます。
続きは、8月19日(水)・8月26日(水)23:00~23:30・ラジオ日本「菅原明子のエッジトーク」でどうぞ!